「いのちを生かす神の愛」

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「いのちを生かす神の愛」

チャプレン室 長濱 カンナ

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

(ローマ人への手紙7章19、24-25節)

 

自分の失敗や間違いに対して、自責の念に駆られてしまうことはありませんか。

人は失敗するもの、間違いを犯すものです。

特に日本人は、その後の回復が苦手な人が多いと言われています。

回復ができずにいると防衛反応が強くなってしまい、メンタルの不調に至ったり、人間関係に影響を及ぼしたりしてしまう事があります。

そんな国民性があるからこそ、「失敗は成功のもと」ということわざが広く認識されているのだと思います。

 

冒頭の聖書のことばは、パウロの書いた手紙の一部です。

パウロは有名なユダヤ教の律法学者の元で教育を受け、伝統や律法について深い知識がありました。

厳格でストイックなため、戒めを守ることに対して厳しく、キリストの教えに回心するユダヤ人たちを激しく迫害するほどでした。

そんなパウロが回心後に、ローマ人のクリスチャンたちに送った手紙の中で「善を行わないで、かえって、したくない悪を行い」(19節)「私は本当にみじめな人間です。」(24節)と語っています。

そして、そのように語りながらも「私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝しています。」(25節)とパウロは記しています。

 

ユダヤの教えはモーセの律法が中心でしたが、歴史を経る中で律法を解釈した教えが権威をもつようになりました。

神様の教えである、神を愛し、隣人を愛するという教えが形骸化され、自分たちの言い伝えによって神様の教えを無にしたのです。

その結果、人々はルールに縛られ苦しむようになり、ついていけない者たちは振り落とされ、貧しい人々、排除される人々が生まれました。

行いによっては誰も救われないのです。

 

イエス・キリストの教えに回心したパウロは、自分が神様のこころから遠く離れたいたことに気づきました。

回心した後も以前の戒律的な教えが染みつき、愛することの難しさに悩まされます。

それは、パウロに限らず、私たちも同じです。

しかし、自分の失敗や間違いに気づかされながらも、パウロは、このような私でも神様は愛してくださったのだとイエス・キリストの教えに立ち返ることができました。

そのたびに力を受け、使命を果たすことに邁進していきます。

 

神の愛は人を救います。

神様は今できるかできないか、出来ているかできていないかではなく、できるようになりたいかを問うています。

ですから、今は今の身の丈で十分であり、失敗し間違いを犯しても、そこから再び立ち上がり、成長し続けることが重要であることを教えているのです。