「大逆転 ~追い越されても、追い越しても~」

  • チャプレン室「こころのサプリメント」

「大逆転 ~追い越されても、追い越しても~」

チャプレン室 瑞慶山 真

競争に疲れたことはありますか?

先頭を追っても距離が縮まらなかったり、後続が追い上げてくる、

そのどちらの焦りも誰もが経験するものです。

正直、走りが苦手な私には、どの立場も考えただけで疲れてしまいます。

 

でも、世の中には「後の者が先になる」というちょっと不思議な言葉があります。

この言葉について考えるきっかけになったのは、童謡「うさぎとかめ」でした。

以前、この曲を歌っていたら、ある方が「どっちも同じ場所を目指していたんだから、手を取って一緒にゴールするのがじょうとうサ~」と答えたことがありました。

勝者か敗者ではなく、「どちらも頑張ってゴールしたから上等!」。

思いもよらない視点に驚かされました。

 

聖書にイエス・キリストが語った「ぶどう園の主人」のたとえ話があります。

主人は朝早くから夕方まで何度も出かけて行って職のない人々を雇いました。

日が暮れ、一日の賃金を払うために全員が集められました。

夕方五時に来た人から順に支払われると、

朝早くから働いた人はそれを見て、「自分はもっともらえるに違いない」と期待しました。ところが手渡されたのは五時に来た人と同じ額でした。

 

「一日働いた私たちと、たった一時間しか働かなかった人が同じ扱いだなんて」と不満をもらす彼らに主人が言います。

「私は不当なことはしていない。あなた方は提示された報酬に同意したはずだ。私は後の人にも同じように与えたかったのだ。自分のお金を好きに使うのは間違っていますか。それとも、私の気前のよさを妬んでいるのか」。

 

「後の者が先になる」。先を行く者にとって、後から来た者に並ばれたり、追い越されたりするのは、自分が劣っているかのように感じられるかもしれません。

 

このたとえを読み解くカギは、イエス・キリストが「天の御国は…」と前置きして語られている点にあります。

つまり、神様の基準が人間の労働量(頑張り)による「功績」を評価するものではなく、神様の一方的な「恵み(憐れみ)」であることを表しています。

「何をしたか」ではなく「どれだけ愛されているか」という、視点の転換(大逆転)に導いているのです。

 

たとえ話に思いを巡らせていると、うさぎとかめが仲良くゴールする姿が浮かびました。もし、この二匹の物語を「兄弟」として捉えたらどうでしょうか。

親にとって、子ども同士が成功を妬み合うよりも、互いの幸福を喜び合い祝福し合える関係こそが最高の喜びであり、親の愛への応答になるはずです。

 

先に生まれた子は、最初に親の注目を受けますが、同時に「期待」という重荷を最初に一人で背負う役回りになりがちです。

一方、後に生まれた子は、上の子を見て育つことで、別の「自由」や「要領の良さ」を身につけ、可能性を見出していきます。

 

先に生まれた子は、後に続く者の道しるべとなり励ます役割。

後に生まれた子は、先の者の思いを汲み取り苦労を共に分かち合う役割。

兄弟にそれぞれ異なる能力や役割が与えられているのは、親の愛を独りよがりで分かろうとするのではなく、互いに補い合いながら理解していくためなのかもしれません。