「我らは尊い」
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「我らは尊い」
チャプレン室 瑞慶山 真
末娘が通う小学校の合唱クラブが、顧問の先生の転任に伴い、解散することになりました。卒業まであと一年、続けさせてあげたかったという思いもありましたが、こればかりは仕方のないことです。
先日、これまで支えてくれた方々への感謝を込めて「ありがとうコンサート」が開催されました。短い練習期間にも関わらず、初めて手にする楽器の合奏にもチャレンジして本当に凄いと思いました。
アンコールの最後に選ばれたのは「Soranji(ソランジ)」という曲でした。
この日、合唱を聞くまで、私はこの歌のことを知りませんでしたが、コンサートの幕を閉じるラストシーン、ピアノの伴奏が消え、歌声だけが静かな体育館に響き渡りました。
“有り得ない程に”
“キリがない本当に”
“無駄がない程に”
“我らは尊い”
「我らは尊い」という一節が心に残り、聞き取れなかった部分も含め歌詞の全容を知りたくなりました。調べていると、「何年か前に映画の主題歌になった歌で実話らしいよ」と、家族が教えてくれました。
主人公の山本幡男をはじめとする日本人が、終戦直後のシベリヤで捕虜として強制収容所に拘留され、辛い日々を過ごすという内容でした。極寒の地、飢えと重労働、絶望の中で同胞さえも疑ってしまうような状況下で、主人公の山本は「必ず故郷へ、愛する家族の元へ帰るんだ。帰ろう」と、希望を捨てずに仲間を励まし続けました。
人間としての尊厳と愛を失わない姿は、まさに歌詞にある「我らは尊い」そのものでした。
山本は作中で通訳として描かれています。その背景には、ロシア文学を愛読していたという伏線が敷かれているのですが、彼が愛読したトルストイやドストエフスキーといった文豪たちは、聖書を深く読み込み、その思想を自身の作品にも反映させてきました。
山本が言葉や行いによって示した、「信じる」、「希望」、「愛」もまた、彼らの文学を通して聖書的な精神を色濃く受け継いでいたのかもしれません。
「我らは尊い」。作詞者がどのような意図を込めたのか、あるいは山本幡男が実際にその言葉を口にしたのかは分かりません。しかし、「私たち一人ひとりが尊い」と言い切るためには、その価値を誰が決めるかが重要になります。
聖書には、神様が私たちに向けて語られたこのような言葉があります。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」
私たちを造られた神様が、一人ひとりをそのように見つめている。その事実に裏打ちされているからこそ、「有り得ない程に」、「キリがない本当に」、「無駄がない程に」という言葉が、より一層輝きを放って聞こえてくるのは私だけでしょうか。
