こころのサプリメント「神様の前ではありのままの姿でいること -イエス・キリストは見捨てない-」

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こころのサプリメント「神様の前ではありのままの姿でいること -イエス・キリストは見捨てない-」

チャプレン室 長濱 カンナ

 

イエス様は、心優しくへりくだっている方ですから、

安心して自分の罪深さも、弱さもさらけ出すことができます。

ありのままで安らかに過ごすことは、

多くの人たちが望む生き方です。

 

先日、動物の可愛い動画を紹介するバラエティー番組を見ていました。

投稿される動画は、どれも可愛くて癒されます。

その中の一つで、3匹の大型犬と1匹の小型犬の動画が印象的でした。

いたずらの現場で「誰がやったの?」と、飼い主がこの子たちを叱っていました。

すると、大型犬が小型犬の背中に手を置いて

「こいつがやりました。」と言っているような素振りをするのです。

「へ~!」と驚いて見ていると、

さらに、その隣にいる2匹の大型犬も

小型犬に手を置いて同じ態度を見せたのです。

しかし、監視カメラを見ると、

なんと大型犬の3匹がいたずらの主犯でした。

飼い主はそれを知りながらも

4匹を可愛がって飼っているのです。

もちろん、飼い主は、犯人にされたかわいそうな小型犬への配慮は忘れません。

 

創世記にも似たような記述があります。

アダムとエバが神様の命令を破ったとき、

自分たちが裸であることを知って身を覆いました。

そして彼らは神様の声を聞いて、園の木の間に身を隠したのです。

「あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」

神様がそう尋ねるとアダムは謝るどころか、

エバのせいで食べたのだと神様に訴えました。

そうすると、エバは蛇が惑わしたのだと言います。

 

神様は責め立てているわけではなく、

事実確認を行ったのですが、

アダムとエバは素直に「すみませんでした。」と

謝ることができませんでした。

神様が怖かったからです。

 

人が、赦されないだろうと思い背を向け、

向き合うことをやめたとき、

つながりは絶たれるのです。

背を向け、逃げ続けているのは人間なのです。

考えてみると親子も同様です。

何度叱ったとしても、

たいていの親は子どもを見捨てたりなどしません。

ましてや神様は、私たちのことを決して見捨てたりなさいません。

 

弟子のペテロがイエス様に

「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、

何度まで赦すべきでしょうか。」と尋ねると、

イエス様は「七度を七十倍するまで」とおっしゃいました。

― マタイ18:21-22 ―

 

人がいつまでも、悪いままでいいというわけではありません。

悔い改めて次のステップへ成長するためには、

まず、自分の罪深さも、弱さも認めてさらけ出す、

その素直さが必要不可欠なのです。

すべての罪も恥も覆ってくださるイエス様につながっていることで、

私たちは、心安らかにしていることができるのです。