こころのサプリメント

「取り戻した笑顔」

チャプレン室 瑞慶山 真

 
私の顔を見る人は、「あんたはいつも笑顔でいいね」と言って下さいます。
私が子どもの頃を知っている人は、赤ん坊の私を腕に抱いてニコニコ顔をみるのが楽しみだったと言ってくれる人もいます。
病棟や事業所などで行われている礼拝で、うれしそうに、また楽しそうに聖書のお話をするわけですから、きっと「子どもの頃から神様信じているって言ってるから、大した悩みもなく育ったんだろうね」と私の姿を見てそう思われる方もいらっしゃるのだろうと思います。
でも、いつもニコニコしている私にも「もう絶対に笑うものか」と思うほど、心が傷つき、自分自身に落胆して笑うことが嫌になったことがありました。
 
あれは中学生の頃でした。反抗期の私は勉強もしないで友達と遊んでばかり。家に帰るのはいつも夜の8時とか9時。それも段々遅くなり、説教を聞かされるのが嫌で、夜中にこっそり一階の窓をつたってよじ登り、二階にある自分の部屋に入ったという事もありました。
学校では目立つ制服姿にしてみたり、大きな態度で周りにいる同級生たちのことをわざと恐がらせたり、いじめることもしました。
すると当然、先生だけでなく先輩たちにも目をつけられるのです。
 
その日は金曜日、友だちの家に向かう途中のことでした。
学校の裏手からが近道だと、お墓が並んだ寂しい場所を進んでいくと、そこには恐い先輩たちが待ち構えていて、たちまち囲まれボコボコにやられました。
雨が降って濡れてボロボロの格好で、痛くて寒くてガタガタと震えました。
後で聞いた話で、目立った一年がいたら、二年生がやってきて『しつけ』をする。これが学校の伝統だということを知りました。
「こんな伝統は間違っている、自分たちで終わりにしよう」という声もありましたが、二年になったら今度は俺たちの番だという声がほとんどでした。
私もやられた分はやり返してやるというグループの中にいました。
 
でも、そんなことが自分にも周りの友達の中でも繰り返され、それがいつまでも続くように思えて、恐い思いや痛い思いにもう耐えられなくなりました。
『裏切り者の根性なし』と言わんばかりに友だちは見向きもしなくなり、とうとう私はつっぱり通すことも出来なくなり、いじめていた同級生からも冷たい目で見られるようになっていました。
自分の居場所はもうどこにもないと思えて、とても惨めでした。
でも、あの辛さを体験しなかったら、私は本当の意味でイエス・キリストを知り、信じる事が出来なかったでしょう。
 
好き勝手ばかりを繰り返し「自分さえ楽しければいい、誰かが傷ついたって自分は痛くもないんだから構わない」と思うようになっていった私は、それまで楽しんで通っていた教会に居心地の悪さを感じるようになり、次第に教会から足は遠ざかり、やがて私は神を捨てました。
それから何もかもうまくいかなくなり、自分の居場所を見失ったのです。
なるべく目立たないように、気持ちを顔に出さないように、そうして私は笑わなくなったのです。
 
何もしたくない、誰にも会いたくないと思っていましたが、ずっと一人で部屋に閉じこもっているのは耐えられなくなりました。寂しかったんです。
そんな私を両親が教会に誘ってくれました。
私のことで両親は苦労しましたが、どうにかしてあげたいと思ったんでしょう。
そして祈ったんです。祈らなければ、神様に祈りが聞き届けられていなければ、今の私はいなかったと思います。
 
 もう自分に教会は必要ないと言って、神様を捨てるようなことをした時でも、神様が私を捨てることは決してありませんでした。
聖書を通して、『あなたを一人にはしない』、『あなたは高価で尊い私の宝物、あなたを愛しているよ』と神様は語って下さいました。
神様のその声は私に向かって語って下さった言葉ですが、あなたに向けて語られた言葉でもあります。
周りをご覧になってみて下さい。神様はあなたのことを思うからこそ、あなたのことを大切に思ってくれる人たちを集めて下さっているのではないですか。
人は傍から離れていってしまうことがあるかもしれません、でも神様が傍から離れることは絶対にありません。
その神様が大切に思って下さっている。その事を知ったとき、私は笑顔を取り戻すことが出来ました。
そして、その喜びは私だけのものではなく、皆さまのものでもある。
このことを伝えたくて、今日も笑顔で聖書のお話をし、神様に祈るのです。