こころのサプリメント

「真の光を受け入れる」

チャプレン室 長濱 カンナ

 
不思議なことに私たちは普段、鎧をかぶって身を守り、人に知られないように取り繕う性質があります。ところが自分では、そのことに気付きません。無意識にカモフラージュしているのです。
ですから、「ご自分の民は光(イエス・キリスト)を受け入れなかった。」と聖書にあるように、本当の自分に気づかない私たちが「私たちに神は必要ない」と思うのは当然のことなのです。
 
私の友人の息子A君が、手術が必要な病気にかかってしまいました。後遺症のリスクもありました。
A君は、親と一緒に教会に行っていました。神様がいるのは当然だと信じ、疑ったことはありませんでしたが、洗礼を受けていませんでした。自分が病気になったこともあり、はじめて必死になってお祈りをするようになりました。これまで何度も祈ったことがあるのに、これほどまでに、神様の助けを必要としたことはありませんでした。
 
感謝なことに、無事に手術は終えることができましたが、神様がいるから大丈夫とは思っていたものの、術後の治療は、思った以上に辛くて大変でした。そんなA君にとって、祈りは欠かせないものになりました。
 
A君はあるとき、考えていました。「ぼくはこんなに辛い思いをしているのに、なんだか、不思議と安心しているなぁ。こんな気持ちでいられるのも神様のおかげだ。でも、こんなに神様を信じているなら、なんで洗礼を受けていなかったんだろう。」
これまでは親の影響で、神様を信じてはいたけど、自分自身が神様を必要としていなかったことに気付きました。「そうか。信じるだけではなくて、自分には神様が必要なんだ。」そうすると、なんだか急に光が差し込んだように、心が希望に満ちあふれたのをA君は感じました。そのことがきっかけで、A君は洗礼を受けることになりました。
 
まだ、幼いA君です。人生は長く、これから誰でも起こるであろう、辛いこと、苦しいことは避けて通れません。
しかし、A君のこころはたくましく成長し、向上心のある姿勢は印象的です。一度、自分の鎧を外して、素直に神様に助けを求めた経験がある人は、自分の力の限界を知っています。
 
鎧が重く感じ、自分では背負いきれなくなったとき、はじめて鎧をかぶっていたことに気付きます。まさにそのとき、光であるイエス・キリストを受け入れることで、その人は希望に満ちあふれ、力と平安を得るのです。