こころのサプリメント

「将来に備える」

チャプレン室 長濱 カンナ

 
人生100年と言われているこの時代、私の周りでは、特に老後に不安を感じている人が多いように思います。
 
社会は豊かになりましたが、ひとつひとつ課題に取り組み、問題をくぐり抜けたように見えても、その時代の状況や背景によって、相変わらず何らかの課題は新たにやってくるものなのだと感じる今日この頃です。
人生100年になったからといって、60代、70代になれば体が衰え、思うように仕事ができるかなど、現実的な問題が山積みです。「長生きはしたくない。」「自分は、ぴんぴんころりだといいなぁ。」という言葉もよく聞くようになり、私たちにとって人生最大の向き合わなければならない「死の受容」という課題の前に立ちはだかる「老後」が課題となっています。
 
伊集院静氏が某テレビ番組で、若者が常に成長し続けるために重要なこととして「常に不安であれ。」と生き方術を語っておられました。「キチントしないとだめだ。」と覚悟させるからとのことです。
 
聖書には、天の御国をたとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようであり、そのうち五人は油を用意しなかった愚かな娘で、五人は油を用意した賢い娘だというたとえ話があります。花婿が、いつお戻りになり、婚礼の祝宴をなさるかわからない状況の中で、油を準備していた賢い五人の娘は、祝宴に行くことはできましたが、油を準備していなかった愚かな五人の娘は、油を買いに行っている間に遅れてしまい、祝宴には行ったものの中には入れなかったという話です。(マタイ25:1~13要約)
 
「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」マタイ25:13
 
天の御国には、キチンと油を用意した賢い娘たちのような者が入ることができるということです。人生の中で、いつ何が起こるか、その日、その時というのは誰も知りません。
 
聖書が言う「キチンと」とは、どういうことなのでしょうか。
天の御国へ入ることのできる希望と、神様は決して私たちを永遠の苦しみに陥れるようなことはなさらず、常に私たちを助け守り導いて下さるということを信じるということです。
そうすれば、心が平安へと導かれます。