こころのサプリメント

「虐げられし者の友となりて」

チャプレン室 伊是名 雅弥

 
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコによる福音書2章17節) 
 
今日、命や人権、自由と言った基本的な権利がだんだん軽んじられてきているように思います。
医療と福祉の現場において、本来守らなければならない立場の高齢者や障害のある人に対して虐待が行われたり、人種差別や弾圧も世界の多くの国で起こっています。
 
主イエスの時代、職業の故に同胞から嫌われ、蔑まれて、阻害された人々がいました。
取税人と呼ばれる職業の人々もそうでした。
取税人はローマから税金を徴収する権利を買って、請け負った額をローマに納めてしまえば、後の分は自分のものとなりました。それで、決められた以上に、税を取り立てて、私腹を肥やす者もいたのです。
 
それ故に同胞のユダヤ人たちからは、取税人は異邦人であるローマと手を組んでいる裏切り者とされ、蔑まれ、罪人としてみなされました。
経済的にはお金があって、裕福であっても、しかし、ユダヤ人社会のコミュニティの中に入ることができずに、疎外されて、孤独を感じていました。
 
主イエスはカペナウムの収税所に座っているレビに声をかけ、弟子として招かれて、食事をされました。食事を共にするということは、親しい交わりを意味しています。
 
このレビの食卓を快く思わずに、けげんそうに見ている人々がいたのです。
当時のユダヤ教の宗教的指導者であるパリサイ派の律法学者たちでした。彼らにとって、一般の人たちでさえ、交わりを持とうとしない取税人や罪人とイエスが食事を共にするということは、どうしても理解できず、納得のいかないことでした。
 
「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」と同席していたイエスの弟子たちに、疑問を投げかけました。それに対する主イエスの言葉が冒頭の言葉です。
彼らは自分を正しい位置において、相手をさばき、その心には相手を思いやる愛がありませんでした。
 
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
 
この言葉は、主イエスの本質的な教えを簡潔かつ的確に述べている言葉であります。
主イエスは、ここでご自身を霊的な医者にたとえて述べています。
「医者を必要としている病人」、「罪人」とは、レビを含めてその食卓につながっている取税人を示し、「丈夫な人」、「正しい人」とはパリサイ派の律法学者たちのことを示しています。
では、私たちのこの世界に、自分は医者を必要としない丈夫な人、自分は正しい人ですと、言える人がいるでしょうか。誰もいないと思います。
すべての人は皆、「医者を必要としている病人」であり、「罪人」であるのです。これが聖書の言わんとしているメッセージでもあるのです。
 
レビは主イエスとの交わりの中で、心の傷が癒され、自らのアイデンティティーが確立され、主の働きに邁進していきました。
私たちも、人を外見や仕事、社会的評価によって差別してはなりません。主イエスがなされたように相手の内にある真実を見つめて、愛の交わりを持たなければなりません。
 
アガペに生かされ、アガペに生きるようになる時、私たちの心にも相手に寄り添う愛が与えられて、相手を励まし、支えていけるように整えられてきます。