こころのサプリメント

「一つの働きを、共に支える」

チャプレン室 林 利行

 
この夏、「オリンピック」と第98回全国高校野球選手権もありました。
開催期間中、テレビの電源を入れると、実況中継や何かしらのスポーツの話題でいっぱいでした。
 
辛く、苦しかった練習を乗り越えて、ようやくメダルを手にして微笑む選手たちから、多くの感動をもらいました。また、今回のメダルは逃しても、東京で開催される4年後のオリンピックを視野に入れて、希望を膨らませる選手たちからも元気をもらいました。
 
甲子園に集まった高校球児の熱戦は、手に汗握る緊迫した場面がいくつもありました。
私はどのような状況の中でも、冷静にプレーを続ける若い選手たちのひた向きさに心躍るような情熱を感じました。
 
大きな大会が重なり、わくわくする時間を過ごさせていただいた私です。
ここで注目したいのは、選手たちを影で支えてきたサポーターと呼ばれる人たちの存在です。
それは、選手たちの家族、友人、会社の上司、同僚であったり様々です。果ては選手を輩出した地区、市町村までも巻き込み、これらの人たちの理解と協力があってこそ、選手たちのプレーが輝きました。
 
名前は告げられない多くの方々の支えがあってこそ、選手たちはスポーツの表舞台に立つことができたのです。故に、メダルを手にした選手も送り出した人たちも「一つ」の働きをしてきたのです。選手たちの喜びは支えてきた方たちの喜びであり、涙もまた共有してきたのです。
 
このような互いの働きを共に支えていく愛の交わりは、聖書が記すイエス・キリストのからだである教会の中にも見ることができます。
 
「ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」(Ⅰコリント人への手紙12章12節)
 
ここに記されているからだの部分は、実は名のない数多くの器官(細胞)によって支えられています。
 
それぞれの器官には役割があり、お互いを支え合う有機的な働きをしています。よって、誰一人として自らを誇ることはできません。それ故に「一つ」と記されている言葉に共感を覚えます。
 
私たちの現実は小さな歩みであり、乏しさもあるかも知れません。自分の名前は忘れられたかのようも思う時もあるでしょう。しかし、この聖書の言葉に慰められます。
 
「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカの福音書10章20節)
 
神様は私たち一人ひとりの存在を認め、その名前を覚えています。
あなたの名前が天に記されているのです。神様は私たちを省みています。
この事実をしっかり受け留め、私たちも「一つ」の働き、愛する家族や身近な親しい人たちを支えていくことに心を注いでいきましょう。
 
讃美歌536番
むくいをのぞまで ひとにあたえよ
こは主のかしこき みむねならずや
水の上に落ちて  ながれしたねも
いずこのきしにか 生いたつものを